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興味のあることをまとめて書きます

小5の時の遠足で嘆願書を出したら鬼のように怒られたけど、あれは教諭の教育姿勢として正しかったのだろうか

遠足ってあるじゃないですか、遠足。
当時小学5年生の亀山少年は遠足で鎌倉に行くことになったんですよ、鎌倉。
どうやって行くかって言うと、電車。
小学校の最寄り駅で集合し、小田急使って藤沢まで出て、そこから江ノ電とかいうロマンあふれるローカル線に乗り換える。鎌倉駅に着いたら、13時の鎌倉大仏チェックポイントを除き、16時に片瀬江ノ島駅で集合するまで、班で自由行動。という、かなり自由度の高い遠足となっていました。

鎌倉って結構見どころのある観光地なんですよ。しかも有名スポットがかなり散らばっていて、かつ交通の便が終わってるせいで移動に時間が掛かる。チェックポイントとなっている鎌倉大仏の前でお弁当を食べなくてはならないことを考えると、元気いっぱい小学生が、めいっぱい鎌倉を堪能するには、時間の余裕はありませんでした。
鶴岡八幡宮はもちろん行きたい、小町通りで1000円以内のお買い物も楽しみたい、建長寺の天狗にも会いたい……となると、本当に計画がキツキツでした。

パソコンルームにて自由行動の計画を立てる時間、駅探で電車を検索していると、聡明な亀山少年はあることに気付きました。先生は最寄り駅を「9:00以降に出発する電車に乗れ」と言ってるけど、8:57の電車に乗れれば、24分も鎌倉に早く着けるぞ……と!決められた時間よりたった3分だけ前の電車に乗れれば、自由行動の計画の幅が大きく広がることに気付いたのです。

そうとあれば、あとは実行あるのみ。Wordを立ち上げ、フォントサイズを16にして、一行目。
「班の出発時刻を3分だけ繰り上げられないでしょうか」

そう、名目的には、班の自由時間は9:00に始まる。班で乗る電車を調べ、その計画に沿って鎌倉まで向かうというお題目だった。今になって思えば、当然すべての班が9:00以降最初に来た電車に乗るだろうし、教諭陣としてもそのつもりで計画が立っていただろう。

しかし当時小5のクソガキはそんなこと知らない。フォントサイズ10.5の本文では、8:57の電車がいかに素晴らしいかが羅列されていた。途中駅での通過待ちもなければ、相模大野における片瀬江ノ島方面への急行の接続も最高であり、藤沢駅の乗り換えもワンダフルかつビューティフル……8:57の各駅停車はまさに最強の電車であり、遠足へのワクワク気分を100倍に増幅する夢の電車なのだ、僕らの夢を乗せてさあ走れ、8:57の各駅停車よ……!

出来栄えに満足し、マウスをポチポチすると、ガガガと印刷機が音を立て、ぼくのかんがえたさいきょうの嘆願書が出力された。チャイムが鳴り、教室に戻り、出来上がったものを教卓の上に提出する。
こうして、すっかり8:57の電車に乗れたつもりで作られた遠足の計画表と、クソガキによるクソ計画のためのクソ嘆願書を、担任の栗林先生は目にすることとなったのであった。

いやあ、それはもう凄かったね、あのときの栗林先生の剣幕は。あのときの亀山少年の目の前には確かに居たんだよな、鬼が。地獄の穴が突然ぽっかり目の前に開いたんだな、と思ったし、なんなら業火の熱と圧を感じたね。途中から下のツイートみたいな顔してた。

それで結局、僕たちの班も9時以降の電車に乗って鎌倉に向かい、時間がないぞと叫びながらみんなで建長寺までの上り坂をダッシュすることになったのだった。

さて、大人になった今、当時の件を振り返ってみて、僕はかなり疑問に思っている。
嘆願書を出してきた児童に対して教諭がものすごい剣幕で怒るというのは、果たして適切な対応なのだろうかと。

まず僕なら絶対に嘆願書出してきたからって怒らないな。遠足引率の都合上、9:00以降の電車に児童が乗ってほしいなら、それをそのまま児童に伝えればよい。でも、当時先生が怒りと共に僕に向けてきた論は違っていた。
「社会にはルールがありそれを守ることは大切だ。9:00以降の電車という決められたルールを守ろうとしないその態度が問題なのだ」 と。

そのルールとやらがクソだから、それを変えるか、ルールが必要な理由を説明するかしてくれって嘆願書出してんのに、嘆願書自体がルールを軽視しているとみなすのは非常に危うい思想ではないか?
「ルールを守ろうとしない」っていうのは、遠足当日に突然走り出して、8:57の電車に乗るようなことを言うのではないか?
嘆願書はルールに対して新たな視点を提供するものとして、それなりに尊重すべきなんじゃないか?
こっちが懇切丁寧に8:57の電車に乗ることによる効用を説いてるわけで、ルールを決めた側にはそれなりの論理的態度でそのルールの効用を説いてルールの正当性を主張すべきではないか?

僕が教諭ならこう言う。
「君たちの班だけを8:57の電車に乗せるのは、他の班から見てとても不平等だから、すべきでない。みんな平等に同じ時刻で出発する、というのが、9:00という時間の意義だ。なら全ての班で8:57に出発すべきと主張するかもしれないが、すでに遠足の計画を決めてしまった班も多く、今から出発時刻を変更してしまうと準備が間に合わない班も出てくるだろう、だから残念ながらそれもできない。でも、 この意見を参考に、来年の5年生の遠足では、出発時間を8:55にしてみるよ。ありがとう」
もちろん怒らずにね。

決められたルールを絶対とする思想を、あまねく生徒児童に植え付ける日本の教育システムが、社会の治安維持に絶大な威力を発揮しているのだ、という効用は無視し難い。
だが一方で、ルールを疑い、建設的な議論によりルールを変え、より良い方向へシステムを変えていける、という経験をたくさんの人が学生のうちにできれば、日本社会は劇的に良い方向に変わっていくと思う。
若者の政治的な関心が高まり、健全な民主主義の構築に役立つだろう。またミクロでは職場にはびこる無意味な慣習をなくして生産性向上も見込める。そろそろこういう方向に向かっていかなくちゃだめなんじゃないかな。

あとめっちゃ話変わるけど、「クラスでときどき話すくらいの女子」っていう微妙かつ絶妙な関係性の女の子と混合で班になって遠足行くの、バチクソ楽しくなかったですか?
大人になるとなかなかそういう機会が無くなっていくのはすごく悲しいことだと思いました。おしまい。